こんにちは。
季節はすっかり秋ですね。
朝は寒いくらい。
それなのに、今回は今さらながら今年春に放送されていた「大豆田とわ子と三人の元夫」の感想を語っていきたいと思います。
もうみんな忘れかけているでしょ?
私もそうだったんですが、先日ふと思い出して、今さらながら「いいドラマだったな」と思えたので、覚え書きのように記していきたいと思います。
1.「大豆田とわ子と三人の元夫」の魅力は日常を描いているところ
リアルタイムで「大豆田とわ子と三人の元夫」を観ている時にはそんなに好きなドラマじゃなかったんです。
以前にやっていた同じ脚本家の坂元裕二さんの「カルテット」の方がよかったな~なんて思っていました。
今でも「カルテット」は名作だという気持ちに変わりはありませんが、今は「大豆田とわ子と三人の元夫」もいいドラマだなと3か月越しでじわっと後味をかみしめています。
なぜ「大豆田とわ子と三人の元夫」がその時に良さが分からず、後から好きになってきたかというと大豆田とわ子の話ってとても日常っぽいからだと思いました。
そして、それが最大の魅力でした。
2.「大豆田とわ子と三人の元夫」の日常っぽさ
日常って色々あります。
自分の気持ちがその時は言葉にならないけれど、少し経って初めてあの時ってああ思っていて、あれに繋がってたとか、
とても近いと思っていた人の気持ちのわからなさとか、
説明がつかないこととか、理不尽なこととか、はっきり白黒つかないこととか、、、。
そんなことがあるよなという曖昧な日常を「大豆田とわ子と三人の元夫」はあまり説明せずに描いていました。
最近のドラマの中には白黒がはっきりしていたり、説明がくどかったりするものがある気がします。
「大豆田とわ子と三人の元夫」は曖昧な日常をあまり説明しないことで、余韻を残し、観る人の考えに委ねています。
ある人はドラマでのある出来事に関してAと思ったり、別の人はBと思ったりできるような作りになっていると思います。
それがとても日常(人生)っぽいな~と思いました。
3.日常は諸行無常
例えば、とわ子の幼い頃からの親友、かごめちゃんの死。
死因がはっきり説明されていませんでした。
突然の病死だったのか、自殺だったのか、分かりませんでした。
また、原因についてその後のドラマでスポットライトが当たりませんでした。
そのまま日常が流れていく。
ドラマを観ていたときははっきりしないことにモヤモヤしていましたが、今は日常ってそうだよな~って思います。
いくら親友だったとしても100%理解しているわけではない。
また、あまりにも突然の出来事って頭で整理されているわけじゃないから言葉にできないこともある。
時間が考えを整理してくれる。
自分の中で大きな事件が起こっても日常はお構いなしに流れていく。
日常は諸行無常。
それがとても日常っぽかった。
その他にも
・大豆田とわ子の母親の話
・小鳥遊さんとの別れ
も詳しく描かれていないけど余韻を残す描き方でした。
4.まとめ
「大豆田とわ子と三人の元夫」はバツ3という確率的には珍しい女性の人生を通して、どこにでもある曖昧な日常が描かれている魅力的なドラマでした。
そういう日常っぽさがが頭の悪い私にはすぐにわからなくて3か月かかりました。
だけど、
やっとこのドラマの良さが分かってきた気が。
まだ半分くらいかもしれないけれど。
後からじわっと好きになるものって残る気がします。
5年後位に2周目したら別の見方ができるんじゃないかな~。
私の語彙力ではこのドラマの良さが語れなかったかもしれませんので、気になった方はU-NEXT等で観られますので、是非に!!
では、では、では~!!